K君との会話


6月に出席したあるパーティーで、2年以上会えていなかった友人と再会した。その友人とぼくを引き合わせてくれたK君は、いまはもう亡き人だ。訃報を聞いた今年の1月。衝撃だった。友人とも彼の話になって、それから1ヶ月、その知らせを聞いたときのこと、それ以前の彼とのやりとりを、日めくりカレンダーを後戻りするようにして、ひとつずつ、思い出している。それゆえか、なんというか、最近ふと気がフワフワする。

彼とは、互いに話しきれなかった話が、ある。自分としっかり話してくれ、と彼から言われているみたいで、そろそろ逃げるわけにはいかないなと思い始めている。



「生き終わった人々の、その人生全体への、共感」から


3月31日に東京・国分寺のカフェスローで開催したブックパッカー(その様子はこちら)で、ひとりの参加者が紹介してくれた一冊。ものすごく興味をそそられたが、「書店に並んでいるところはあまり見たことがないから手に入るかな・・・」といわれて残念に思っていたところ、久々の池袋でジュンク堂に立ち寄ると、あるじゃないの、さすがジュンク堂。迷うことなく購入して、読んだ。

全五話の構成で、第一話と第五話がノンフィクション、そのあいだの三話はフィクション。1939年生まれ、御年71歳の著者が「「墓」に近づいた私の年齢ゆえ」に、墓、その背後に浮かぶ「生き終わった人々の人生」への思いを綴っている。カトリック信仰の影響なのか、死者への共感力がものすごく強い。その感性が、ノンフィクションとフィクションの垣根をなくしてしまっていて、第一話から第五話まで通して読んでいると、本当にノンフィクションなのか、本当にフィクションなのか、あやふやになってくる。物語的には第三話の『ある小説』が面白いのかもしれないが、ぼくが強く惹きつけられたのは第五話『メラニーという女性―ドキュメンタリふう人物群』のほう。1846年に聖母マリア出現を見たメラニーという女の、そのことゆえに辿ることのなった放浪の辛い人生が、彼女にかかわるそのほかの人物群とともにドキュメントされている。著者によって淡々と静かにレポートされているだけなのだけれど、そのためにかえって、体の奥のほうまで、「生き終わった人々の、その人々の人生全体への、言いようもない共感」(著者談)が迫ってくる。

ここ1〜2年、「もののおわり」についてぼくは感心があって、この本も、そんなひとつの流れのなかで巡ってきた一冊になる。




手繰り寄せるための巡礼



気がつくと、けっこう立て続けに本を読んでいる。仕事がそれほどない(と思い込んでいる)のをいいことに「今日はカフェで本を読もう」と自転車でチャラチャラ出かけているのです。ブックパッカーのアンテナサイトも毎日ひとが来るわけじゃないので、うっかり店番気分でいるとつまらなくって、それくらいチャラチャラ出かけるほうががちょうどいい。

昨日紹介した『ともいきの思想』のあと、短い時間でさらっと読んだのが、この一冊『縄文聖地巡礼』。人類学者の中沢新一と音楽家・坂本龍一が、日本の古代縄文の奥に眠っている精神世界を、いくつかの聖地を巡りながら追う、という構成。この手の本を読んでいるひとにとっては「新鮮な話」ではないかもしれない。というより「そうだよね、うんうん」と再確認する一冊といった感じ。対談本は中身のクオリティがいささか落ちると苦言を呈するひともいるけれど、ま、裏を返せば、大事なことに通じる話題にさらりと触れられる利点もある。語り手がふたりともきめ細かい大きな視座をもっているので、ゆったり読めて、不快感もなく、いい本だと思う。

この本を勝った理由は、実は、中身よりも、装丁。出版社から直々に、装丁のコンセプトの説明があったりして、おうおうずいぶん前に出てくるじゃないかと、楽しかった。

パワースポットと聞きつけるや否や、わーなんかもらうぞー!と意気込んで、あっちへ行ったりこっちへ行ったりするひとたちも、もう一歩、こういう古層まで読み込んでいったらいいのに、とも思う。もらうための聖地巡礼でなく、自らを手繰り寄せるための想う巡礼へ。



6月はおきな堂で、7月はアンテナサイトで、ブックパッカーを開催しました。




7月中旬、信州も梅雨明けして、それから1週間、ここならではの日差しの強い夏を送っています。東京に比べたら湿度も低いし、アスファルトジャングル特有の蒸し返しもないし、楽なはず。なんだけれど、ここの暑さはここなりに厳しい!で、ちょっとだらけていますね。

6月も下旬にさしかかった頃、昭和8年創業の洋食屋「おきな堂」で、ブックパッカーを開催しました。写真はそのときに集まった本たち。なかなか、バラエティに富んだ面子が揃っています。実は松本でブックパッカーをはじめるにあたって、東京でやっていたときと同じ調子でやれるものだろうかと考えていました。しかしそれは杞憂でしたね。この回は参加者全員が松本や近隣都市部からのひとたちでしたが、まったくもってふつうに楽しんでいました。「cafe matka」で開催した4月の回から連続して参加してくれたリピーターも。このままゆっくりじっくりとみんなが好いてくれる集まりになってゆけたらと思います。





いっぽう、こちらはつい最近、7月17日土曜日に、ブックパッカーのアンテナサイトで初めて開催したときのもの。2008年にスタートしたブックパッカー。毎回会場は、カフェやレストラン、ギャラリー、オフィス、公園、山など「外」に飛び出していました。なので、「自分の場所にブックパッカーを招く」のは今回が初めて。参加者がぽつぽつと集まってくる、勢揃いしたところで、ちいさくもあたたかい会が始まる、そうした一連の流れが「自分の場所」で起こるということ。これほど嬉しいことはありませんね。また、今回は、札幌や鳥取からの参加者が。松本「市街」の隅にある一軒家のちいさな土間で、日本地図の先から先までがつながっていく感覚。こういうことがこの場所ではこれからも次々に起こってくるんでしょう。主でありながら、未知で、楽しみです。


8月は、通常のブックパッカーはお休みの予定。7月19日からすでにはじまっている「自然な育児のための100冊展」(貸出も可。8月29日まで)と、8月22日日曜日に開催するトークイベント「こどもとおとなのいっしょに育つ話」があります。トークイベントは先着20名。すでに半数が埋まっているので、ご興味のある方はお早めにご連絡ください。詳しくはブックパッカーの公式ホームページをご覧ください。



アイスクリームとアイスキャンデー、かき氷の店でつぶやくなら




最近、Twitterをはじめた。「つぶやく」ものだとばかり思っていたら、どうやらずいぶんちがうんだなあというのが正直な感想。けっこうみんな意図的な気がする。ぼくのまわりのひとたちがそういう目的で使っている、というだけかしら。見よう見まねでやっていたら、ぼくのつぶやきもどこか意図的な気がして、なんか嫌だなーと思っている最中。もっと、列記とした「つぶやき」をみてみたい。自分にとっての「Twitter」の意味がまだ確立しなくて困惑したまま、なんとなくつぶやいてみています。

このあいだ、市内で見つけたアイスクリーム屋。製氷機屋が夏季限定でオープンしている。井戸端会議中のおばちゃん、赤黒く日焼けしたサッカー部員、こどもとかき氷をつっつくお母さん、野球部1年生と微妙な距離で話しつづける女の子たち、孫にアイスキャンデーを買いにきたじいさん。味のことをとやかく言っちゃーいけない店だと思う。幸せに満ちた場所だった。

たとえば、あのアイスクリーム屋で、Twitterに簡単にアクセスできる状況だったら、なんてつぶやけばよかったんだろう。考えてみると、日頃、ぼくらはほとんど「つぶやき経験」を踏んでいないわけで、その「つぶやき」を言語化して、かつ文字化して、さらに信号に載っけて飛ばすのって、なんだか、けっこうハードルが高いことのような気がしてきた。



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