2011→(犬的引き継ぎ)→2012




茶碗です。

さくらがぷいっと一人旅に出ていったので、
ついに、ついに、あたしがこの家の番犬となりました。
茶碗です。名前です、茶碗、が。
“茶”色の“犬(ワン)”だから、茶碗だそーです。
覚えてください。


ウチダ家番犬業第6代踏襲、最初の仕事。
先代さくらに代わって、御礼申し上げます。


2011年もウチダ家をありがとうございました。
2012年もどうぞよろしく、どうぞよろしくお願いいたしますー。
(一人だと心細いから会いにきて遊びに来てお願いしますー)



旅先より



さくらです。
唐突ですが、そういえば、一人で旅をしたことがありませんでした。

山の牧場で生まれ、庭のあるウチダ家に暮らし、
旅好きなこの家族と、海へ山へ森へ、よく遊びにもいきました。

犬というのはふだん、昨日のことも、昔のことも振り返りません。
目を開けて広がるそのときその場所に、いること。
犬の生きかたは、そのことに徹し、また幸せを感じるものなのです。

ただ、あのときはちがいました。
とーさんがいつもは毛が飛ぶからと滅多に入れない家にいれてくれて、
ゴーさんが300キロ離れた松本から予定もなしにやってきて、
うーさんが7500キロ離れたカナダから夢のなかで声をかけてきて、
そして夕方、かーさんが仕事を振り切って帰ってきたあのとき。
このひとたちと過ごした15年間のことを、よくよく思い出しました。
そして思ったのです。
一人旅をしていないな、と。

旅に出てから、今日で、人間がいうところの、2日が経ちました。
一人で旅をしてみると、おもしろいことがわかりました。
一人で花の匂いを嗅ぎ、一人で空を見上げて、一人で餌にありつき、
一人で行き先を決め、一人で道を歩いている、にもかかわらず、
ゴーサンやうーさん、とーさんかーさんが絶えず側にいることを感じるのです。

ウチダ家のみんなが旅を好いていたその気持ち、わかった気がします。
旅って、いいものですね。

また手紙を書きます。


2011年12月7日
さくらより



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12月5日午後6時10分、15年間ともに過ごした我が家の愛犬、
ラブラドールレトリーバーのさくらが、その長い一生に幕を下ろしました。
我が家で直接彼女と話し、遊び、過ごしてくれたみなさん。
このブログを通して、彼女の日々を温かく見守ってくれたみなさん。
ありがとうございました。
彼女の旅が穏やかで愉快なものになるよう、一緒に祈ってもらえたら幸いです。


15年間、本当にありがとう、さくら。
旅先で、会いましょう。


2011年11月7日
ウチダゴウ



Sakura. 2011 Autumn































余生




みなさん、おひさしぶり。さくらです。

ごーさんが松本に引っ越してから、もうすぐ2年が経とうとしています。
この2年間、ごーさんは仕事にかこつけて、あたしに会いにきます。
もうすぐ30になるというのに、いつまでも犬離れのできない男の子です。

つい最近帰ってきたとき、ひさしぶりに、縁側で一緒に昼寝をしました。
腰がだいぶきつくなってきたものだから、ごーさんの足に寄りかかって。
あの日だまり、気持ちよかった。

来月は、うーさんもまたまたカナダから帰ってくるそーです。
みんな、あたしに会いたくて仕方がないのです。
そういうみんながいつ来てもいいように、
あたしは今日もこの日だまりで待ったりしているのです。

2011.11
さくら


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余生という言葉の実体を、我が身を通して把握しようとしても、
生の真っ只中にいる時分には、なかなかうまく計れない。

先週仕事で東京に行った際に、実家にステイさせてもらった。
濡れ縁でさくらや茶碗の様子を写真におさめていると、
さくらがすっと静かに、ぼくの左足に寄りかかってきた。
ぼくは足の甲で、彼女の肋骨を感じながら、その本数を数えた。

生を走り抜けるための筋肉をいよいよ落として、
彼女はこれから少しずつ、呼吸だけになっていくのだと思った。
骨も、皮も、瞳も、鼻も、足の爪も、頬にできた疣も、
彼女は一つずつ丁寧に下ろしていって、呼吸だけになる。
それはとても優しい営み。
彼女はいま、そんな余生を、一日一日、送っている。


2011.11
ウチダゴウ



犬の越夏越冬




さくらです。

あと1週間で、わたしは15歳。
人間でいうところの110歳になります。

カナダに住んでいる家族がいま日本に帰ってきています。
彼女の顔が見れたわーとホッとしているところです。
やっぱり家族はいい。

この暑い夏を越えたら、あの寒い冬がやってきます。
16回目の夏と冬。ゼーハーしながら満喫中。




報酬か、それとも賄賂





茶碗です。

このうちに来て、1年と半年が経ちました。

垣根や濡れ縁、植木が、秘密基地や隠し通路になって、楽しい家です。

カーポートの蛇腹にポチッとついていたゴムはぜんぶ噛みました。


一昨日は、バーベーキューなるものが盛大に開かれました。

大人数と子どもが苦手なので、遠巻きにみていましたが、

我慢した甲斐あって、それに見合う報酬もいただいたので満足です。


この肉というやつもうまかったけれど、

最後にもらったカスタードというヌルっとしたやつも美味でした。

今度は、スペアリブというやつをもらいたいです。



時のなかの110歳



どうもみなさん、おひさしぶりです、さくらです。

昨日はわたしの家族が友だちを招いて、バーベーキューを開きました。

こどもたちもたくさん来て、にぎやか! 何か話しかけてくれた。

もうすぐ15歳、人間でいうところの、110歳になるわたし。

もう聞こえないのだけど、うんうんと頷くだけで、楽しかったわ。



出会ったとき、中学生だったゴーサンが、夫になって。

小学生だったウーサンは、海外で暮らしている。

時は流れるのね、そうやって。不思議。



石巻の犬





石巻駅からすぐの羽黒山へは、急峻で団数の多い階段を登ってたどり着く。

頂上の公園には、桜の木。ちょうど花をつけて、眼下に広がる石巻の町並みが美しかった。

公園のベンチで、パンとおにぎりを朝食にいただいていると、白い犬のお出まし。

あたたかな陽気に誘われて、公園をひとり散歩。あっちとこっちで用も足した。



被災地だと思えば、そこは「被災地」になる。

石巻だと思えば、そこは「石巻」だ。

どんなときでも、どんな場所でも、犬は「犬」だと思う。

少なくとも、白い犬は「いつもの公園」に訪れた「春」に小便をひっかけていた。



娘たちの会話




さくら 「・・・・・・・・。」









茶碗 「・・・・・・・・。」







見つめ合えば、すべて分かる。そんなのは、幻想です。



一枚の写真が物語るもの




そんな目で見ても、家には入れてもらえないこと。


なんだかんだ言って、茶碗がさくらを慕っていること。


実家の窓が、ひどく汚いこと。(犬の鼻水による)


穏やかな日々のなかで、ぼくが育ったということ。(しまった、それは犬の気持ちじゃなかった)

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