法政大学のワークショップ


Photo by Jun Misonou.

法政大学で詩の授業をしてきた。3年前から毎年1度、だいたいこの時期に開催している。「社会教育計画論」は受講生25名ほどのクラス。学校以外の学びのスタイルを考えることが授業の目的。授業名のとおり、受講生は社会教育主事を目指している。地域のひとびとの学び(いわゆる生涯学習)の場を企画運営し、その過程で多様な相談業務もある仕事だ。ぼくが呼ばれた意図は、コーディネートやファシリテートなど技術論に終始偏ってしまいがちな講義あるいは学生の姿勢に対して、頭も感性も手も動かす「実際」を学生に体験してもらうこと(と理解した)。

カウンターで直接他者を相手にする仕事にも、工場でひたすら部品をチェックする仕事にも、共通していえるのは、その仕事が「ひとの仕事」である、ということだと思う。相談しにくるひと、相談を聞くひと、部品を製造するひと、製品を購入するひと。その仕事が成功するには、唯一の鍵を持っていればいいというわけではない。マーケティングも必要だろうし、将来へのプランニングも欠かせないかもしれない。でもそのなかには必ず、コミュニケーションも成功条件のひとつとして挙げられているはずだと思う。コミュニケーションという言葉に、ぼくはどこかシステマティックな印象を受けるので、最近はそれを避けて、「会って話す」と表現している。町のなかに入って、あるときは身勝手な、あるときは切実な、年代も性別も思惑も背景も千差万別のひとびとと「会って話す」仕事をしていくだろう学生たち。だから、素直に、「会って話す」体験ができそうなワークショップを開いてみた。

反応はいいほうだったと思う。実際にこの日出席した16人のうち、数人の心の底には、何かしら落としていけた気がする。「会って話す」ことはむずかしい。できれば、ワークショップという一時的な舞台のなかで行なうだけでなく、その後の日々のなかではたと振り返って意識してもらえたらと願う。

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