『世界屠畜紀行』の内澤旬子さんとTwitter上で話したこと


この『世界屠畜紀行』を読んだのは2007年。もう3年前。確かこの本のことは以前書いた気がするから、飛ばします。あちこちのサイトやブログにレビューが書かれているし。読んだらいい本の一冊であることに間違いはありません。

10月のあいだ各局のニュースで騒がれた熊問題。熊の被害から人間の生活をいかに守るかというほうに意識を強く持って動くひとたちと、動物愛護・自然保護をベースに熊の生活を守ろうとするひとたち。この両者の考えが渦巻く人間と熊本人(?)たちのことが、屠畜の現場をリポートしてきた内澤さんの目にどう映るのか、そして何を思うのか聞いてみたくて、Twitter上でお尋ねしたところ、お返事をくださいました。とても考えさせるコメントだったので、みんなとも共有したく、その内容をここに転載します。


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ウチダ:
ぼくも「可哀想だから殺すな」というのは説得力に欠けるかなと思います。原因はなんであれ人間も「生きる」ために手を打たなきゃならない。問題は熊が降りてくる原因がこちら側にだいぶあるという点。その罪悪感というか。そこらへん含めて内澤さんはどう思ってますか?

内澤さん:
熊というか地球全体に対する罪悪感は常にあります。こんなに「向いてない」種が生態系を下手にいじったばっかりに、自分たちの生活をまもりつつ「元」に近い形(これもとても疑問ですが)にするもしくは維持するのに手を入れ続けなければならないわけで、そんな難題、根を上げたい。

内澤さん:
熊問題に関しては、テレビをちらちら見た素人見解ですが、やっぱり原因がよくわからないというか、山がこの六十年でどう変わったのかをもっと教えて欲しいなと思ってます。戦後の林業政策で針葉樹林を植えたのが山の生態系が荒れたと読みましたが、それなら五十年くらいまえから広葉樹は切られてしまっていることになりはしないかと。ならばもっと以前から熊は里に出てきてもいいような気がしてしまうのです。長いスパンで山の変化と熊について見てきたひとに取材してほしいなと思ってます。

ウチダ:
「そんな難題、根を上げたい」正直な見解を聞かせてくださってありがとうございます。ぼくはいま28ですが、10代半ばからこういうニュースを見聞きしていて、否応にも生活のなかで考えざるを得ない人間になってしまっているのですが、知れば知るほど問題の根が深く、かつ、そもそもどこに問題があるのかも見定めきれていない状況もあって、やはり「根を上げたい」と思うんですね。といいながら、やっぱりどうにかならないのか、どうにかしたいと思う。同じように、フラットな姿勢で提供される情報を欲しています。

内澤さん:
私はいま43です。小学生だった70年代後半、公害ニュースが多く流れて乱開発による自然破壊も取りざたされていました。戦前生まれの母は水を汚してはいかんと物心ついたときから今もずっと洗濯石けんで洗濯。そしてご存知ないと思いますが、ロールが二個ついてて、そこに挟んで把手を回すと洗濯物がせんべいのようになって出て来るという、当時でも相当アンティークな洗濯機を使い続け、黄ばんだ体操服、そして脱水機がないから乾かずに半分濡れてる水着を体育の時間に着せられてました。子供心に地球のためって思って我慢してました。

内澤さん:
カップラーメンも禁止。地球のためだと思ってました。子どもなんで。世の中もきっとそのように変わっていくと信じてました。子どもなんで。で、そのあと狂乱のバブル時代とともに大人になり、無意味な箱が地方に乱立するのを見て、腐りました。腐りすぎて、エコなんて言葉で今更なんじゃあっ、何十年無駄にしくさったんじゃあっと、少なからず思っております。しかし今さらでも何もしないよりはマシというか、やらねばならないのでしょう。
それにしてもヒステリックに煽るよりは、冷静に全体を把握し、俯瞰することが大事なんだろうに、相変わらず目先の直近に見える所ばかりにフォーカスしてまったくつきあってられんわ、と、放り出したくなる気持ちと日々闘っております。ただ本当に時間のかかることみたいなので、あまり我慢するのももたないなと、夜中にカップ麺を食べたり、酵素系ですけど漂白剤をかけ、白シャツをパリッと来て気分をあげたり、絶滅危惧種でない野性獣の肉を食べたり、うさちゃんだけど毛皮のストール買おうとしたりしてます。なにもかもを一気に我慢しつづけるには人生長すぎました......。

ウチダ:
さらにお返事くださってありがとうございます。ぼくは環境保護周辺の広告を作ることがたびたびあるのですが、悩むんですね。広告を出すNPO/NGOは「こんなにたいへんな状況。みんな聞いて!」と言いたくて、いっぽうで受け手の多くは、その熱気には気後れしているというか。じゃあそうならないようにと「楽しみながらエコ!」と打ち出しても、今度はどうも未消化なところがどこかに残っている。このコミュニケーションをどうにか成り立たせないと、互いに未消化物がおなかに残ったまま暮らしているようで、いやいやこうじゃないなあと思っていたところです。
みんなが迷いなく活動しているようで(思っていてもたぶん言わない)ときどき困惑してもいたので、お返事の内容にホッとしています。2日に渡り、ありがとうございました。


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どうなんだろうと思う。ぼくなんかは「これをすべきだ」というメッセージだけだとまだ発信者との距離を埋められない感覚があって、そこまでだと一緒に行動をともにしたい気持ちにならない。「これをすべきなんだ。でもこんなことも思う。」とそのひと個人が現実に感じている迷いや葛藤までを表現できるか否かが、無意識に判断基準になる。

ある種が他の種を駆逐していくという現象は、生態系のなかでごく自然に起こっていることだと思う。航空機や船、自動車などのさまざまな人間の交通網によって、世界の生態系が画一化していく現象や、人間の経済活動(戦争も含む)によって破壊されつづける環境のことも、人間もまたひとつの「生きもの」だとすれば、それはそういうこと、と言ってしまうこともできる。「生態系は絶妙なバランスのなかで成り立っている」とはいっても、生態系そのものに、あるいはその生態系を形づくっているそれぞれの生きものに、その思惑はないと思う(現時点でそんな意思は解明されていないと思う)。「いまは成り立っている」ということであって、「未来永劫そうでなければならない」というルールはどこにもないし、「絶えず変容していくことが自然」と捉えれば元も子もない。そうしたときに、果たしてこれが問題なのか、ということすら気になってしまう。結局のところ、人間の言う「世界」や「自然」は、人間の解釈するぶんでしかない。ハワイで大繁殖して勢力を拡大する野生豚は、「元の生態系」などおかまいなしだ。この論法では、生態系の保護云々は説得力が弱い。となると、COP10の各議題の根っこにある「人間のための生物多様性」という理解しかできないし、それでいいのかもしれない。

ここらへんのことを釈然としないのがストレスなのではなく、ここらへんのことについてモヤモヤしているそぶりもみせないひとたちがいることに戸惑うのです。本当はモヤモヤしているのか、いや、彼らには迷いを打ち消すぼくの知らない理解があるのか、そこを知りたいと思う。だから内澤さんが少し語気を強くして、いまの「エコ」やさまざまな運動に対しての思いを語ってくれたことが嬉しかったです。内澤さん、ありがとうございました。

もっとこのモヤモヤ(あるのならば)を、みんなが吐露したらいいんじゃないか。ぼくはそう思うんだけど、果たしてみんなはどう思うのか。ぜひ教えてください。


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