3月11日について、所信

語るためには、まず、語ろうとする自分の思いを、その発端から末尾まで、何度も往き来をして、その道程をよく観察しなければなりません。何をきっかけに、どの段階で、どんなことを感じ、その感覚に自分はどう変化させられ、そしてその変化した自分はまた何を考え、実際にどんな作用を起こしたのか。すべての工程をくまなく調べなければなりません。

特に今回、日々心の所在が揺れ、語る意欲そのものが不安定でした。メディアを通して聞かされる、上澄みを掬ってはさも美しそうに飲ませる、しかしその事実貧しく悲しい言葉の数々に落ち込んでいました。重々しいテーマの映画を1日に何度も繰り返し観たり、思考から身体を剥がしたくてペーパークラフトの製作に没頭したり。語ろうとする自分が起き上がってくるまで、待つほかありませんでした。

また、いざ語ろうとしても、何についての何を語ろうとしているのか、その姿かたちが乱れていて、口を噤んでしまっていました。たとえば一つの山が何万の植物で彩られるように、一見すると一つに見えている対象が、実は百や千の集まりであることに気づきました。いま自分の心のなかで飛び出しそうになっている怒哀と憎悪の総体が、何に対するどんな感情で構築されたものなのか、捉えきることができませんでした。

今もなお、掌握しきれないまま残留している塊のいくつかを感じています。ただ、これから被災地へ支援活動に赴き、また賛同してくれている仲間たちもあるので、自分の自分自身に対する素直な所信を明らかにしておかなければならないと思い、今この時点で書ける唯一の思いを示しておきます。



- - - 3月11日について、所信 - - -

3月11日を境に、ぼくはそれまで自分がどう生きてきていたかを忘れていました。
表面的には政府や電力会社への不信感や社会の安易な風潮に対して感じていた不安や動揺は、
おそらく根本は「自分本来の所在を見失っていたから」だったかと思います。

ぼくは、何者でもありません。
詩人やコピーライター、デザイナー、貸本屋の店主など、さまざまな顔がありますが、
ぼく自身の所在は「ウチダゴウ」のほかにないのだと思います。
そして、そのウチダゴウという人間がその瞬間に持ち合わせている感性と
常に相談をして(あるいは忘れてしまったりしながら)生きることを選んできました。
そういう自分の「勝手」を自ら作ることに、淡々と勤しんできました。

幼少期から、皆と同じように、予測を立てて動くことができませんでした。
何事もやってみないとわからなかった。28歳になった今も、それは変わっていません。
ぼくがぼく自身に持っている「勝手」は、「会って話す」ということ。
自然も、人も、モノも、思いも、会って話してみないことには何もわからない。

だから、被災地に行こうと思ったのです。自分に何ができるか。今何をすべきか。
その問いについて、解答を持っている人すなわち被災された方々に会わずして、
また話さずして、身勝手な解答を作り出すことは、ぼくの「勝手」ではありません。
だから、被災地に暮らす人たちに会いに、話にいくのです。
それは、「したいこと」「できること」「すべきこと」どれでもありません。
3月11日の災害が起ころうが起こるまいが、それ以前から、
ぼくがずっと「やってきたこと」、そしてこれからも「すること」です。

そういう自分の所在を確かめられたので、被災地への支援活動を計画しました。
ブックパッカーの400人の仲間たちにはメールマガジンにてお知らせしたとおり、
ぼくと有志で、4月下旬にまず2〜3日の滞在で、被災地に入ります。
移動図書館を現地にて行なう予定ですが、今回は下見の要素が濃いものになります。
実際に会った人たちとの話のなかから、求められるものを見定めて、
必要なかたちに、柔軟にカスタマイズしてゆきたいと思います。

2011.4.7
uchidago small flag


コメント
下見の要素が濃いという「被災地での移動図書館」。くれぐれも気をつけて行ってらしてください。何か自分に出来ることを…、自分がするべきことは何か…、そして、これから自分は、あるいは日本人はどうあるべきなのか…。そんなことを考えながら、日々、多用な現実を言い訳に物資を送る程度のことしか行動せずに居ます。まず行動、そして答えを持つ人達の声を聞くこと…と、行動を起こされるゴウさんを心から慕い応援します。
  • たかみつ
  • 2011/04/11 11:02 AM
京都の二葉です。今回とり合えず、娘達が卒業した本や漫画で、子供を対象にした物を中心に送ります。どのような形でも活用していただけたら嬉しいです。気をつけていってらっしゃい!
  • 二葉眞弓
  • 2011/04/11 8:54 PM
西村さん、双葉さん、ありがとうございます。ぼくは小心者なので、怖いなー、大丈夫かなーと思いながら、今日も過ごしています。そういう怖さや迷いを感じながら、であることが大事なんじゃないか、と仮想しながら。同行する仲間もいるので、いっしょに気をつけて、行きます。
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