bookpacker small flag report - April 17th to 21th

石巻に行ってから、一ヶ月。帰ってきてすぐ、個人ブログにて石巻での活動について、Reportしました。そして今日に至るまで、SPEEDIデータが一部のみ公表されたり、地震翌朝のメルトダウンが判明したり。石巻での2日と半日がどんなだったか。一ヶ月後の今、あらためて、記録します。



▼行程 (時間はおおよそ)

4/17
午後4時〜: 松からレンタカー(トヨタ キャラバンロング)で出発
午後9〜10時: 東京、国分寺・杉並でそれぞれ1名、合流
午後11時頃: 東北道に乗車、一路石巻へ。

4/18
午前5〜6時: 石巻到着。石巻港に立ち寄り、その後市内へ。市内の被災状況を見回る。
午前6時頃: 市沿岸部を見渡せる羽黒山公園で朝食。石巻市民Sさんと知り合う。
午前7時頃: 石巻の有志ボランティアセンターに到着。
午前中: 炊き出しに合わせて本とcoffeeの場を開くため、炊き出しのある学校を視察。
昼: 大街道小学校で本ブースを設置。(coffeeは現地ボランティアがすでに運営)
午後2〜3時: 湊中学校で、本コーナーとcofeeブース設置。
午後4〜5時: 釜小学校で、子どもたちに本手渡し。体育館の避難所に盆栽を差し上げる。
午後6〜7時: センタ―に一度立ち寄り、その後朝出会ったSさん宅で宿泊。

4/19
午前7時頃: 起床。センタ―へ立ち寄り、その後、港中学校へ。
午前中: 湊中学校の炊き出しに合わせて開くBookCafeの準備。
午前12時〜午後3時頃: 炊き出し開始。BookCafeも同時スタート。美容院も開設。
午後3時〜: 終了後、他学校での開催を検討するも、満潮による冠水と雨で活動中止。
夕刻:センターにて小休止。石巻専修大でのボランティアMTGに出席。明日の予定検討。
夜:Sさん宅2泊目。

4/20
午前6〜8時: 起床。センタ―へ立ち寄り、朝MTG。
午前中:南三陸町の各ポイントに物資運搬のため北上。十三浜、志津川、歌津。
午後2時頃: 帰路へ、東北道乗車
午後8〜9時: 東京着。東京合流の2名下車。

4/21
午前5時: 松本着。

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▼記憶・記録

前提:
現地に足を運んだ方なら分かる通り、以下はあくまで「そのときその場所」の話です。天候、ライフライン、避難所の統廃合、ニュース、ボランティアの働きなど、さまざまな要因で現場の状況は常に変わっていくものだったので、以下の話も「4/18〜20の期間中、石巻を訪れたウチダゴウの目に映った記憶・記録」という限定的なものです。一ヶ月経ったいまは、まったく異なる状況だと思います。

鵯. 石巻市の様子
石巻市といっても、地形・街の造形・支援の入り具合によって、それぞれ状況が異なりました。「この通り沿いは1階も抜けずに家が残っていると思いきや、角を曲がった道沿いは全壊」など。海沿いでも小高い公園によって津波の被害を最小限にとどめたのだろうエリアもありました。道路の脇には、使えなくなった家財道具が壁を作り、また、ヘドロが乾かずにある道も多い。bookcafeを開いた湊中学校の一帯は損壊著しい。側溝に缶詰工場の冷凍魚類が浮かんでいました。

鵺. Sさんのこと
到着日の朝、地元住民のSさんと知り合いました。Sさんの「どこから来たの?ボランティア?」という質問から会話がはじまり、車かセンタ―で寝る予定だったぼくらに「うちに来なさいよ〜」と誘ってくださり、二晩、夕食と寝床を頂戴しました。夕食時には、地震と津波を受けた際の様子を伺うことができました。プライバシーもあるのでここにはこれ以上書きませんが、若い頃から地元でだいぶ目立っていただろうSさんの、現在に至るまでの仕事や暮らしの話(主に武勇伝的。酒も入った席でした)を聞きました。まさか地元の方とこんなかたちでこんなにも近い距離で話ができるとは思ってもいませんでした。おかげで、ぼくのなかで「被災地」は「石巻」になり、「被災者」は「この土地に日々暮らしている人」になりました。

鶚. 避難所のこと
ぼくが訪ねることのできた避難所は、湊中学校、大街道小学校、釜小学校の3箇所のみ。
☞湊中学校
湊中学校は海岸からも距離が近く(おそらく1kmほど)、周辺の民家(があっただろうと推測)は基礎のみが残っているか、あるいは1階が抜けて2階のみ残っている家のようでした。炊き出しに来る方たちは、校長先生曰く、中学校で避難生活をする方、自宅に住むが炊事ができない方がメインとのこと。校長先生・教頭先生が明るかったのが印象的。ボランティアが「みなと食堂」と名づけ、看板をつくり、体育館の壁に絵画の描かれた大きな幕が飾られ、テーブルにはテーブルクロスに花も飾ってありました。
☞大街道小学校
当時300名の避難者が教室棟に生活。最初に本を広げた場所で、こちらが不慣れだったのもあるけれど、担当したメンバー曰く「子どもの言動が粗野だった。大人も“いまはそういう気分じゃない”とピリピリ」。聞くところによると、ぼくらが行った日の前日に、「3/21の学校再開」と「そのための体育館への移動」が校長先生から避難生活者に伝えられたとのこと。場の空気を支配していたあの重さはそこから来るのかもしれなかった。後日、学校再開と移動という発表がされる前日に大街道小へ行った記者と話したところ、前日、その情報を避難生活者にどう伝えるか、校長先生が苦心していたと聞きました。
☞釜小学校
初日に1時間ほどの滞在、炊き出しのタイミングからもズレてしまったので、感覚的に様子を掴むことできず。ただ、避難所となっている体育館エントランスの沿道に花壇が飾られていて、和む空間を演出しようと創意工夫している感じを受けた。避難生活をされている方と思われる女性に盆栽のことを伝えてみると、中から担当の方(何の担当だったのだろう)を呼び、担当者「ああいいかも!ぜひいただきます」とのこと。霧吹きと液肥も渡した。

鶤. bookcafeのこと
☞判断
初日、3校の避難所を廻りながら様子を見て、人が多く集まる炊き出しに合わせて開くことに決定しました。理由は、本が被災者の最もほしいものではなかったこと。そのため、“何かのついで”に開催されるほうがその場に足を向けやすいだろうと判断しました。想定していた通り、避難所では「本を置いていく」のは断られます。ぼくらは「欲しいひとが自分で選んで取れる」かたちにしたかったので、「欲しいひと」に出会える機会の多そうな、イコールまずは人数の多く集まる場所を、開く場に選びました。
☞様子
湊中学校のbookcafeは、炊き出しの時間=昼食どきに合わせて行ないました。炊き出しブースの導線上にハンドドリップコーヒーのブースを設置、さらにその先に本のコーナー、地蔵、そしてセンタ―で滞っていた文房具を設置しました。ハンドドリップは大好評。香りとその抽出の時間がつくる心地よさが良かったようです。その香りに誘われ、本のコーナーにも流れができました。とくに考えていたわけではありませんでしたが、ぼくは「いつもどんな本を読んでいます?」と尋ねていました。もっと「本を選ぶ」空間が演出できれば、もう少し時間をかけて、彼らの選書に寄り添えると感じました。
☞本のこと
当初から「こういう本がいいだろう」という想定なしで本を集め持っていました。漫画はすべて年代の古いものだったので、まったく出ませんでした。女性はエッセイ、軽めの小説を手にとる方が多かった気がします。男性のうち、若い世代(30〜40代)からは「子どもに本を」「ふだん読まないけど気晴らしに」という声、年配者からは「歴史小説を」と何度も聞きました。なかには本を贈るにあたってメッセージを本に付してくださった協力者がいて、その本を手にとった女性がそれを読んで「あ〜こういうの嬉しい。。」とひと言。ぼくも読みましたが、おそらく、メッセージの内容が、言い過ぎず、優しいものだったからだと思います。同じく、別の協力者が寄贈して下さった老眼鏡も人気でした。すべて被災者の手に渡りました。

鶩. 南三陸での感触
☞十三浜の漁師たち
道が寸断されたためもあり、地震から1週間以上支援のなかった場所で、流れ着いたバスタブと無事だった船のエンジンを使って風呂釜をつくり、また洗濯機を修理して使えるようにしたりしながら、過ごしていたそうです。道が開通し、GSも再開したとはいえ、瓦礫がまだ残り、すぐ目の前に大波揺らす海岸線が続くエリアです。学校再開により、その道を通ったひとなら感じるだろう「通学には危なすぎる」ことに親たちは戸惑っていました。酒、老眼鏡、食べもの、栄養ドリンク、下着類、文房具などを届けました。
☞志津川の老夫婦
同行メンバーのひとり戸沢くんが前回被災地入りの際に訪ねた老夫婦の家を訪ねると、目下修理作業中でした。物資が必要か訪ねると、改修スペースに邪魔になり、また集落で無事だった車をシェアして買い物もできるため、不要とのこと。なぜか、イカの塩辛、ウニ味噌、ふきみそ、三陸ワカメの味噌汁、ごはんをご馳走になりました。「また来てくれてありがたいなあ」と老夫婦。物資や寄附などさまざまな支援がありますが、彼らのそのひと言や、来訪者にいまあるごはんで持て成してくれるさまを見て、「何度も会いに行く」「忘れないでいる」ことがなによりこの2人にとっては嬉しいことなんだろうなあと感じました。ボランティアはそこがベースなのかもしれません。

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▼次回にむけて

鵯. 本もある心地いい時間と空間
「本を渡す」ことではなく、「本もある心地いい時間と空間」を提供することがいい、と感じました。「本のある」ではありません。「本もある」だなと感じました。そのほうが逆説的に本に、手が伸びる。そもそも「本を渡す」ことが目的ではなく、被災された方たちに添うことが、ボランティアの目的です。そのためにもし本が何らかの役割を負えるとしたら、こうしたかたちだろうなと思います。

鵺. cafeという形態
当時、ハンドドリップのコーヒーが飲める環境がまだ少なかったので、とても歓迎されました。空間の心地よさをつくるにもコーヒーは重要な要素になったので、cafeという形は続けたいと思いました。いっぽうで、当時すでに「今月中に営業再開!」の貼り紙がある飲食店をたびたび見かけたので、cafeのような場も再開しているかもしれません。その点は現地と連絡をとり、検討します。

鶚. 次回、その前にそもそも....
今週中に現地で知り合ったボランティアと連絡をとり、いま現在の生活環境の状況と今後の予測を聞きます。その情報によって上記活動がすでに不要と判断できれば、取りやめ、あるいは別の土地を検討することも考えに入れています。また、次回同行するメンバーの希望もあるので、別の土地に赴く可能性もあります。それも検討中です。さらに、福島第一原発で地震翌朝にメルトダウンが起こっていた事実が判明したことは不安材料です。自身も家族がいる身として、十分に検討して動こうと思います。



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