2011年のあの日




楽しかった記憶は、時間が経てば経つほど、自分に都合のいいように演出が効いてくる。東京で、ぼくは18歳から27歳まで、およそ10年間を過ごした。渋谷のセンター街を映画を観によく歩いた。嫌いなのに新宿の歩行者天国にもよくいた。代官山には毎月イベントを開きに通ったし、表参道の夜をくぐり抜けて詩の朗読もした。大学生活を過ごした池袋にはいくつも愛着のある場所がある。あの喫茶店で仲間と話し込んで、あの公園であの子と別れた。

悲しくてやりきれないことや重たすぎて声も出せないことが、ぼくらの周りにはずっとずっとあったけれど、そのつど抱きしめたり呑み込んだりして、これまで生きてきた。それらもいまでは「楽しい記憶」のすぐそばで、ぼくの心を温めてくれている。「悲しみは悲しみのままぼくのそばにいてくれる」という不思議な優しさを、ぼくはそうやって学んだ。

この2011年という年も、いつかのぼくにとっては、温かく、優しいものになってくれるのだろうか。この時代をともに生きたぼくらにとって、「あの日」とその後の一部始終は、どんな血と肉になるのだろうか。「これからぼくらはどうなるんだろう」と不安と絶望を奥歯で噛みしめて笑っている2011年を、未来のぼくはなんて言うのだろう。



もしかしたらこれから、ぼくは、ぼくの大事なひとたちとも別れて、さらに旅をしないとならないのかもしれない。生きるのは、なんて孤独なんだろう。



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