リアクションの表情


twitterやfacebook、ブログに載せたメッセージに対するリアクションをみていると、感じる。たとえば広告制作の書き込みでも、楽しげで、かつイメージがすでに持てる「アフリカ・いのちの輝き」には反応があるいっぽうで、「ヨコハマbデイ2011」のようなイベントタイトルの意味や「生物多様性」といったそのテーマが難解だったり不明瞭だったりすると、スルーされている。広告制作の観点からいえば、ターゲットが感じてしまう「難しそうだ」「ちゃんと読まないとわからないからめんどくさいな」といった印象を乗り越える広告をつくることが必須になるのは、当然の話。

でも、解せない。

経済でも学力でも世界ランクからずり落ちている日本人たちは、最後の悪あがきのように「識字率の高い日本」と語る。世界では、字の読み書きができないがゆえに、正しい情報と分析、思考、想像、創造ができず、その障壁を乗り越えようとしている国が多数ある。日本は、ほとんどの子どもが、そして大人も、字を読み、書ける。本来ならば「字の読み書きができる」ことはそのまま「知り、考え、イメージし、動いてみる力がある」ということになるはずだ。もし日本が本来的な意味の「識字率の高い国」であれば、「読んで考えなくていい」広告を作る必要はないんじゃないのか。

日本の識字とは「字を知っているだけ」なのかもしれない。日本では、言葉が「知っている」ということだけですでに足りているツールになっているのかもしれない。言葉が、考える種や、イメージを膨らませる水、動いてみる熱にならない。言葉はただの置き物として、家の戸棚のどこかに飾られて、埃をかぶったまま、一生を終える。

読みたい。考えたい。創りたい。そう願って生きている世界の人々の先端で、ぼくらはなんてぞんざいな生きかたをしているんだろうと思う。こんな国と、こんな人たちと、後の人生を一緒に過ごせるだろうか。心が離れていく。



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