ホンモノをみること



遠隔地で広告を作っているのと、高尾山のトンネル工事現場に身をおくのとでは、まったくちがいました。13時から16時まで、滞在はたった3時間でしたが、正直ちょっと圧倒されて参ってしまいました。何に参ったのか。それがわからなくて、昨日今日と、自分の内側と外側で起こったことをひとつひとつ、手繰り寄せるように確かめながら、考えていました。

そしてひとつ、決定的にショックだったのは、自分の内心に起きた出来事でした。

到着して目に飛び込んでくるのは、土壌がむき出しになって乾いたさま、そこに太い支柱が何本も何本も打ちつけられたさま、周囲の森のどことなく生気をカサつかせているさまでした。しかし、それらの景色がショックだったのではありません。それらを目にして「なんてひどい」と感じた自分がショックでした。というのも、その感じ方があまりに安直のような気がしたからです。

昨年末から、高尾山のトンネル工事について多くのひとに現状を伝える手伝いをしてきました。次第にその伝わらなさや今一歩の注目度、そしてその理由を知り、苛立ちや怒りを感じはじめます。その感情が、いつの間にか、工事そのものへの抵抗感へとすり替わってしまいました。高尾山トンネル工事の一件で、論点になるのは、あくまで、「高尾山にはトンネルはいらない」というところ。「トンネル工事=悪しきもの」という見方はズレています。

ぼくら人間の都合で変わらざるをえない自然は、日本全国、いや地球上、至るところにあるでしょう。しかしそのすべてが、悪しきもの・ひどいものではないのです。森が削られ、土壌がむき出しになり、痛々しいから、トンネル工事をやめるのではありません。生態系の状態、含水量の多い土壌の脆さ、代替案の有無など諸事情ふまえて考えたとき、「高尾山にトンネルは適さない」という結論に至るのです。

明日は、ふたたび和居和居デッキに行ってきます。工事の進む現場で、しかしそれでもただただ生きようとする森のいのちに、耳を傾ける。そんな時間をみんなといっしょに過ごせたらと思います。

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