ちいさなイノチの森で、詩の授業


手入れの行き届いていない森に分け入っていく

今月2度目の高尾山に、昨日行ってきました。記念すわりこみ撮影会の会場・和居和居デッキで、高尾山に宿る小さないのちの声を聴く、詩のワークショップを開催するために。

月曜日から土曜日まで、毎日つづくトンネル工事のすぐすばでも、森のいのちはただ当然に生きていくんじゃないか。前回ここを訪ねたときに、感じたことです。そしてたとえばぼくらがするべきことは、トンネル工事への怒りや憎しみを森の小さないのちたちの声にすり替えることじゃなくて、ただそこに生きている小さないのちたちの声そのものをそのまま伝えてあげることなんじゃないかと思いました。主役は、トンネル工事でもなく、工事に反対する動きでもなく、高尾山です。高尾山を長いあいだ支えてきたいのちが主役なんです。


森でひとり佇んでみよう。そこがたとえどんな森だって

手入れの行き届いていない森のなか、辛うじて残る山道を分け入っていくこと20分、少しひらけた斜面が現れます。みんなそれぞれ、自分のいちばん気持ちいいスポットで、自由に過ごしてもらいました。天へ天へと伸びる杉、生きることに忠実な藤、幾重にも散り積もった枯葉、いまにも土に帰らんとする朽ち木、水の流出がとまらない山で、しかしなおただただ、ただただ巡ろうとする水。高尾山の本体と思われる大きな岩盤にも出会いました。岩盤の上は分厚い腐葉土、そこに着床して根を太く下ろした木々。そこだけは空がぽっかり空いていて、いまにも何か降りてきそうな雰囲気でした。


小さないのちの声を、できるだけそのまま伝えてみる。

1時間近く森のなかで過ごしたのち、デッキに引き返すと、あったかいスープと、虔十の会が用意してくれた2畳分のボードが。森のなかで聴いたいのちの声を、できるだけぼくらの意図を差し挟まずに、そのままに、参加者それぞれ詩を書きました。みんなきっと気持ちよかったんだと思います。ボードに書かれたことばはどれも、シンプルだったから。いまがとっても気持ちよければ、あれこれ余分なものを纏おうとはしなくなるんですね。



みんなが書いてくれたボードは、今日から毎日、和居和居デッキに掲げられています。高尾山を訪ねたら、そこにありつづけるいのちの声に耳を傾けて、ボードにどんどんその声を書き加えていってください。

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