法政大学で詩のワークショップを行ないました



毎年声をかけていただいている、法政大学市ヶ谷キャンパスでの詩の授業。非常勤講師の御園生先生が受け持つ『社会教育計画論』という講義で、今回も1時間半、詩の授業を開催してきました。この講義は、社会教育という新しい学びのスタイルを受講者と一緒に模索していくことを目的とするもの。テーマに「伝える力」「伝える思想」をかかげています。そのなかで、「学ぶ=知識や技術を覚えること」にとどまらず、どのように自分のことを他者に伝えるのかという観点で実践的なワークを取り入れたいという要望があり、詩の授業に話がやってきます。

事前にもらった先生からのメールで、「伝える」実践の場をもちたいという気持ちを強く感じられました。当初は詩を使ってどうにかしようかと考えたのだけれど、詩を使うには良い面悪い面があるのです。とくに詩は形式が自由な分、だらだらと長く書くことができます。叙情的でなければいけないといったヘンな先入観も強い。「伝えたい」ことを「伝わる」ように「伝える」のを実体験するには、詩ではなく、コピーでいこう。今年1年間、微力ながら関わってきた広告制作の仕事から学んだエッセンスを、この授業に合うかたちで一心に注ぎ込みました。学生さんにも先生にも楽しんでもらい、かつ、伝えることの簡単さと難しさを授業を通して擬似的にでも実感してもらえたかなと思います。

終わって次の予定まで一休みと入ったカフェで、緊張の糸がほどけたんでしょうね、ぐっすり寝入ってしまいました。ぼくのこれらの仕事は一発勝負です。依頼者が「してやられた!」と思うくらい期待以上のものを、1回だけ与えられた何もかもが初めての場で実現させなければなりません。実現できれば次の話が来る。たくさん回数をこなせれば、その分、詩の授業も洗練されていく。2004年に詩の授業を始めた当初、なかなか場数を与えられずに悔しい思いをしたので、素直に嬉しいですね。そういうときのプレッシャーは屁でもない。自ら生きるっていうのは本当に楽しい。それを実感した1日でした。

コメント
ゴーサンの仕事に対する想いが聞けるのって新鮮。
そしてそんな真摯な態度に、わが身を振り返させられます。
私も一つひとつ、もっと大事にしていこう。
  • eri
  • 2008/12/06 11:09 PM
どうも、えりさん。新鮮だったかしら。

仕事をする。このことをちゃんと考えられるようになったのは、
ぼくもきっと最近のことです。大学卒業からこれまではどこか
お試し期間だと思っていたからね。

今年は詩の授業も広告も依頼が入るようになったし、ブックパッカーも
どこへ向かうのかその後ろ姿が朧げながら、でも確かに見えてきている。
そういうなかで、自意識が芽生えたんでしょう。ま、そうなるだろうな
と思っていた頃合いにそうなってきた、という、いい感触。

思うけれど、どんな仕事につこうとも、「自営である」という意識を
もつといいと思います。自分でやる。その責任感と覚悟が、そのひとを
少しずつ強くしていく気がします。
「自営である」という意識、これ同感。
そしてやっぱり最近になってとくにその想いを
強くしたような。
今は世間一般の「仕事」にはついていないけれど、
自分がかかわるものすべてが仕事なんだろうな、と。

詩の授業は以前から依頼がとん、とん、と
入っていたのかと思ったけれど、それは少しずつの
歩みだったのね。そして新たな自意識が生まれる
過程でもあったのね。

いやいや、
やっぱり新鮮でした。☆。
  • eri
  • 2008/12/07 8:42 PM
そうね。仕事は「就く」んじゃなくて、「やる」んだと思います。
誰かさんの用意してくれたところに乗っかるだけじゃいけない。
自分のなかにある仕事をやってく。金融危機、政治不安あるからね。
誰も、もう守ってくれないんです。というか、今までもそうだった。
見せかけだったのが、最近露呈しはじめた、ということだと思います。

詩の授業は、全然です。
ひとは「詩の授業やりましたよー」と1度いえば、それだけで
「仕事が来ている=うまくいっている=順調=スゴイ!」と
カンタンに思い込みます。そんなわけないのよ。
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