祭の夜





shift a way of being.

ここ数年、自分のコミュニケーションのしかたを省みることが多々あって、それをきっかけに、自分のありかたに関しても、どうやらシフトすべきもの、というか、自分がシフトしたいと感じているのではないかと思うようになった。

2010年に松本に移り住んだのは、それまでの集大成のようなゴールだったのではなくて、まったくもっての白紙状態に自分を放り投げるスタートだったんだろうなと、いま、2011年8月1日になって感じはじめている。

ぼくがこれまで生きた29年間ではいつもそうであったように、日常生活のなかに散りばめられている具体的で小さな様々な課題も、全人生に横たわる大きな問いかけも、その答えを教えてくれる人間は、だれひとりいない。


身のうちに吹く風を読むことは、辛く、寂しい、孤独な営み。
舵を切るまでの長い長い、長い時間が、大洋の上、ひたすら続く。



2011年のあの日




楽しかった記憶は、時間が経てば経つほど、自分に都合のいいように演出が効いてくる。東京で、ぼくは18歳から27歳まで、およそ10年間を過ごした。渋谷のセンター街を映画を観によく歩いた。嫌いなのに新宿の歩行者天国にもよくいた。代官山には毎月イベントを開きに通ったし、表参道の夜をくぐり抜けて詩の朗読もした。大学生活を過ごした池袋にはいくつも愛着のある場所がある。あの喫茶店で仲間と話し込んで、あの公園であの子と別れた。

悲しくてやりきれないことや重たすぎて声も出せないことが、ぼくらの周りにはずっとずっとあったけれど、そのつど抱きしめたり呑み込んだりして、これまで生きてきた。それらもいまでは「楽しい記憶」のすぐそばで、ぼくの心を温めてくれている。「悲しみは悲しみのままぼくのそばにいてくれる」という不思議な優しさを、ぼくはそうやって学んだ。

この2011年という年も、いつかのぼくにとっては、温かく、優しいものになってくれるのだろうか。この時代をともに生きたぼくらにとって、「あの日」とその後の一部始終は、どんな血と肉になるのだろうか。「これからぼくらはどうなるんだろう」と不安と絶望を奥歯で噛みしめて笑っている2011年を、未来のぼくはなんて言うのだろう。



もしかしたらこれから、ぼくは、ぼくの大事なひとたちとも別れて、さらに旅をしないとならないのかもしれない。生きるのは、なんて孤独なんだろう。



bookpacker small flag report - April 17th to 21th

石巻に行ってから、一ヶ月。帰ってきてすぐ、個人ブログにて石巻での活動について、Reportしました。そして今日に至るまで、SPEEDIデータが一部のみ公表されたり、地震翌朝のメルトダウンが判明したり。石巻での2日と半日がどんなだったか。一ヶ月後の今、あらためて、記録します。



▼行程 (時間はおおよそ)

4/17
午後4時〜: 松からレンタカー(トヨタ キャラバンロング)で出発
午後9〜10時: 東京、国分寺・杉並でそれぞれ1名、合流
午後11時頃: 東北道に乗車、一路石巻へ。

4/18
午前5〜6時: 石巻到着。石巻港に立ち寄り、その後市内へ。市内の被災状況を見回る。
午前6時頃: 市沿岸部を見渡せる羽黒山公園で朝食。石巻市民Sさんと知り合う。
午前7時頃: 石巻の有志ボランティアセンターに到着。
午前中: 炊き出しに合わせて本とcoffeeの場を開くため、炊き出しのある学校を視察。
昼: 大街道小学校で本ブースを設置。(coffeeは現地ボランティアがすでに運営)
午後2〜3時: 湊中学校で、本コーナーとcofeeブース設置。
午後4〜5時: 釜小学校で、子どもたちに本手渡し。体育館の避難所に盆栽を差し上げる。
午後6〜7時: センタ―に一度立ち寄り、その後朝出会ったSさん宅で宿泊。

4/19
午前7時頃: 起床。センタ―へ立ち寄り、その後、港中学校へ。
午前中: 湊中学校の炊き出しに合わせて開くBookCafeの準備。
午前12時〜午後3時頃: 炊き出し開始。BookCafeも同時スタート。美容院も開設。
午後3時〜: 終了後、他学校での開催を検討するも、満潮による冠水と雨で活動中止。
夕刻:センターにて小休止。石巻専修大でのボランティアMTGに出席。明日の予定検討。
夜:Sさん宅2泊目。

4/20
午前6〜8時: 起床。センタ―へ立ち寄り、朝MTG。
午前中:南三陸町の各ポイントに物資運搬のため北上。十三浜、志津川、歌津。
午後2時頃: 帰路へ、東北道乗車
午後8〜9時: 東京着。東京合流の2名下車。

4/21
午前5時: 松本着。

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▼記憶・記録

前提:
現地に足を運んだ方なら分かる通り、以下はあくまで「そのときその場所」の話です。天候、ライフライン、避難所の統廃合、ニュース、ボランティアの働きなど、さまざまな要因で現場の状況は常に変わっていくものだったので、以下の話も「4/18〜20の期間中、石巻を訪れたウチダゴウの目に映った記憶・記録」という限定的なものです。一ヶ月経ったいまは、まったく異なる状況だと思います。

鵯. 石巻市の様子
石巻市といっても、地形・街の造形・支援の入り具合によって、それぞれ状況が異なりました。「この通り沿いは1階も抜けずに家が残っていると思いきや、角を曲がった道沿いは全壊」など。海沿いでも小高い公園によって津波の被害を最小限にとどめたのだろうエリアもありました。道路の脇には、使えなくなった家財道具が壁を作り、また、ヘドロが乾かずにある道も多い。bookcafeを開いた湊中学校の一帯は損壊著しい。側溝に缶詰工場の冷凍魚類が浮かんでいました。

鵺. Sさんのこと
到着日の朝、地元住民のSさんと知り合いました。Sさんの「どこから来たの?ボランティア?」という質問から会話がはじまり、車かセンタ―で寝る予定だったぼくらに「うちに来なさいよ〜」と誘ってくださり、二晩、夕食と寝床を頂戴しました。夕食時には、地震と津波を受けた際の様子を伺うことができました。プライバシーもあるのでここにはこれ以上書きませんが、若い頃から地元でだいぶ目立っていただろうSさんの、現在に至るまでの仕事や暮らしの話(主に武勇伝的。酒も入った席でした)を聞きました。まさか地元の方とこんなかたちでこんなにも近い距離で話ができるとは思ってもいませんでした。おかげで、ぼくのなかで「被災地」は「石巻」になり、「被災者」は「この土地に日々暮らしている人」になりました。

鶚. 避難所のこと
ぼくが訪ねることのできた避難所は、湊中学校、大街道小学校、釜小学校の3箇所のみ。
☞湊中学校
湊中学校は海岸からも距離が近く(おそらく1kmほど)、周辺の民家(があっただろうと推測)は基礎のみが残っているか、あるいは1階が抜けて2階のみ残っている家のようでした。炊き出しに来る方たちは、校長先生曰く、中学校で避難生活をする方、自宅に住むが炊事ができない方がメインとのこと。校長先生・教頭先生が明るかったのが印象的。ボランティアが「みなと食堂」と名づけ、看板をつくり、体育館の壁に絵画の描かれた大きな幕が飾られ、テーブルにはテーブルクロスに花も飾ってありました。
☞大街道小学校
当時300名の避難者が教室棟に生活。最初に本を広げた場所で、こちらが不慣れだったのもあるけれど、担当したメンバー曰く「子どもの言動が粗野だった。大人も“いまはそういう気分じゃない”とピリピリ」。聞くところによると、ぼくらが行った日の前日に、「3/21の学校再開」と「そのための体育館への移動」が校長先生から避難生活者に伝えられたとのこと。場の空気を支配していたあの重さはそこから来るのかもしれなかった。後日、学校再開と移動という発表がされる前日に大街道小へ行った記者と話したところ、前日、その情報を避難生活者にどう伝えるか、校長先生が苦心していたと聞きました。
☞釜小学校
初日に1時間ほどの滞在、炊き出しのタイミングからもズレてしまったので、感覚的に様子を掴むことできず。ただ、避難所となっている体育館エントランスの沿道に花壇が飾られていて、和む空間を演出しようと創意工夫している感じを受けた。避難生活をされている方と思われる女性に盆栽のことを伝えてみると、中から担当の方(何の担当だったのだろう)を呼び、担当者「ああいいかも!ぜひいただきます」とのこと。霧吹きと液肥も渡した。

鶤. bookcafeのこと
☞判断
初日、3校の避難所を廻りながら様子を見て、人が多く集まる炊き出しに合わせて開くことに決定しました。理由は、本が被災者の最もほしいものではなかったこと。そのため、“何かのついで”に開催されるほうがその場に足を向けやすいだろうと判断しました。想定していた通り、避難所では「本を置いていく」のは断られます。ぼくらは「欲しいひとが自分で選んで取れる」かたちにしたかったので、「欲しいひと」に出会える機会の多そうな、イコールまずは人数の多く集まる場所を、開く場に選びました。
☞様子
湊中学校のbookcafeは、炊き出しの時間=昼食どきに合わせて行ないました。炊き出しブースの導線上にハンドドリップコーヒーのブースを設置、さらにその先に本のコーナー、地蔵、そしてセンタ―で滞っていた文房具を設置しました。ハンドドリップは大好評。香りとその抽出の時間がつくる心地よさが良かったようです。その香りに誘われ、本のコーナーにも流れができました。とくに考えていたわけではありませんでしたが、ぼくは「いつもどんな本を読んでいます?」と尋ねていました。もっと「本を選ぶ」空間が演出できれば、もう少し時間をかけて、彼らの選書に寄り添えると感じました。
☞本のこと
当初から「こういう本がいいだろう」という想定なしで本を集め持っていました。漫画はすべて年代の古いものだったので、まったく出ませんでした。女性はエッセイ、軽めの小説を手にとる方が多かった気がします。男性のうち、若い世代(30〜40代)からは「子どもに本を」「ふだん読まないけど気晴らしに」という声、年配者からは「歴史小説を」と何度も聞きました。なかには本を贈るにあたってメッセージを本に付してくださった協力者がいて、その本を手にとった女性がそれを読んで「あ〜こういうの嬉しい。。」とひと言。ぼくも読みましたが、おそらく、メッセージの内容が、言い過ぎず、優しいものだったからだと思います。同じく、別の協力者が寄贈して下さった老眼鏡も人気でした。すべて被災者の手に渡りました。

鶩. 南三陸での感触
☞十三浜の漁師たち
道が寸断されたためもあり、地震から1週間以上支援のなかった場所で、流れ着いたバスタブと無事だった船のエンジンを使って風呂釜をつくり、また洗濯機を修理して使えるようにしたりしながら、過ごしていたそうです。道が開通し、GSも再開したとはいえ、瓦礫がまだ残り、すぐ目の前に大波揺らす海岸線が続くエリアです。学校再開により、その道を通ったひとなら感じるだろう「通学には危なすぎる」ことに親たちは戸惑っていました。酒、老眼鏡、食べもの、栄養ドリンク、下着類、文房具などを届けました。
☞志津川の老夫婦
同行メンバーのひとり戸沢くんが前回被災地入りの際に訪ねた老夫婦の家を訪ねると、目下修理作業中でした。物資が必要か訪ねると、改修スペースに邪魔になり、また集落で無事だった車をシェアして買い物もできるため、不要とのこと。なぜか、イカの塩辛、ウニ味噌、ふきみそ、三陸ワカメの味噌汁、ごはんをご馳走になりました。「また来てくれてありがたいなあ」と老夫婦。物資や寄附などさまざまな支援がありますが、彼らのそのひと言や、来訪者にいまあるごはんで持て成してくれるさまを見て、「何度も会いに行く」「忘れないでいる」ことがなによりこの2人にとっては嬉しいことなんだろうなあと感じました。ボランティアはそこがベースなのかもしれません。

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▼次回にむけて

鵯. 本もある心地いい時間と空間
「本を渡す」ことではなく、「本もある心地いい時間と空間」を提供することがいい、と感じました。「本のある」ではありません。「本もある」だなと感じました。そのほうが逆説的に本に、手が伸びる。そもそも「本を渡す」ことが目的ではなく、被災された方たちに添うことが、ボランティアの目的です。そのためにもし本が何らかの役割を負えるとしたら、こうしたかたちだろうなと思います。

鵺. cafeという形態
当時、ハンドドリップのコーヒーが飲める環境がまだ少なかったので、とても歓迎されました。空間の心地よさをつくるにもコーヒーは重要な要素になったので、cafeという形は続けたいと思いました。いっぽうで、当時すでに「今月中に営業再開!」の貼り紙がある飲食店をたびたび見かけたので、cafeのような場も再開しているかもしれません。その点は現地と連絡をとり、検討します。

鶚. 次回、その前にそもそも....
今週中に現地で知り合ったボランティアと連絡をとり、いま現在の生活環境の状況と今後の予測を聞きます。その情報によって上記活動がすでに不要と判断できれば、取りやめ、あるいは別の土地を検討することも考えに入れています。また、次回同行するメンバーの希望もあるので、別の土地に赴く可能性もあります。それも検討中です。さらに、福島第一原発で地震翌朝にメルトダウンが起こっていた事実が判明したことは不安材料です。自身も家族がいる身として、十分に検討して動こうと思います。



No rose without a thorn.



石巻市内の避難所で、ブックカフェ(仮)を開いてきました。

























4月18日から20日まで2日半、東日本大震災で被害を受けた石巻市、そして南三陸町にに行ってきました。現地に赴くにあたって、ぼくの身近にあるものをもってゆきました。ブックパッカーの仲間たちと集めた本、直前までアンテナサイトで開催していた地蔵展から寄贈された地蔵、東京目黒の愛用しているお店から提供してもらった盆栽など。同行した友人でカフェスローのスタッフ戸沢くんがオーガニックコーヒーを持参。

18日は石巻市を中心に活動するボランティア有志から情報を得て、いくつかの避難所をまわり、即席の図書館をオープン。住民の方の反応や、炊き出しスケジュール・避難所の雰囲気などを感じながら、いまここで実現できる(ぼくが思う)ベストな本ブースをイメージ。19日はそれを元に、湊中学校の炊き出しで、ブックカフェを開きました。


被災地に入る前のイメージをほぼ更地にしておいたことで、被災地のいま、避難所のいまに出来る限り則したかたちで場を開くことができたのではないかと、実際に利用してくださった方々の反応をみて、いま感じています。

香り立つコーヒーとずらりと並んだ多ジャンルの本をきっかけにコミュニケーションもとることができたのも収穫。当初幾人かからいただいた指摘(「いま本が必要なのか」「もっと綿密に練られた計画が必要」など。それも被災地を思ってのこと)が気になっていましたが、実際に開催してみると、現地で長く活動するボランティアからも、炊き出しに訪れる住民の方々からも「会いにきてくれてありがとう。ホッとするこの時間、とても嬉しかった」といったメッセージももらい、被災地以外の場で語られる多くの「察する思い」が杞憂であることもわかりました。さらに望ましいかたちもイメージでき(といいつつも、また日が経てば求められるかたちも変わってくるので、おそらく次便のときにはまたある程度の臨機応変的な準備で向かうべきだとも思う)、今後も続くだろうこの活動の基礎を固めることができたように思います。


5月1日から5日まで開催される「八王子古本まつり第4回」では、被災地のみんなに贈る本を募集します。八王子古本まつりを仕切っている古書げんせん舘の坂田昌子さんと、今回の活動を下地に、古本まつりで集まった本を有意義なかたちで被災地に届けられるよう、計画を練ってゆく予定。今年のゴールデンウィークに東京に残るひとは、ぜひこちらにも足を運んでみていただけたら嬉しいです。



3月11日について、所信

語るためには、まず、語ろうとする自分の思いを、その発端から末尾まで、何度も往き来をして、その道程をよく観察しなければなりません。何をきっかけに、どの段階で、どんなことを感じ、その感覚に自分はどう変化させられ、そしてその変化した自分はまた何を考え、実際にどんな作用を起こしたのか。すべての工程をくまなく調べなければなりません。

特に今回、日々心の所在が揺れ、語る意欲そのものが不安定でした。メディアを通して聞かされる、上澄みを掬ってはさも美しそうに飲ませる、しかしその事実貧しく悲しい言葉の数々に落ち込んでいました。重々しいテーマの映画を1日に何度も繰り返し観たり、思考から身体を剥がしたくてペーパークラフトの製作に没頭したり。語ろうとする自分が起き上がってくるまで、待つほかありませんでした。

また、いざ語ろうとしても、何についての何を語ろうとしているのか、その姿かたちが乱れていて、口を噤んでしまっていました。たとえば一つの山が何万の植物で彩られるように、一見すると一つに見えている対象が、実は百や千の集まりであることに気づきました。いま自分の心のなかで飛び出しそうになっている怒哀と憎悪の総体が、何に対するどんな感情で構築されたものなのか、捉えきることができませんでした。

今もなお、掌握しきれないまま残留している塊のいくつかを感じています。ただ、これから被災地へ支援活動に赴き、また賛同してくれている仲間たちもあるので、自分の自分自身に対する素直な所信を明らかにしておかなければならないと思い、今この時点で書ける唯一の思いを示しておきます。



- - - 3月11日について、所信 - - -

3月11日を境に、ぼくはそれまで自分がどう生きてきていたかを忘れていました。
表面的には政府や電力会社への不信感や社会の安易な風潮に対して感じていた不安や動揺は、
おそらく根本は「自分本来の所在を見失っていたから」だったかと思います。

ぼくは、何者でもありません。
詩人やコピーライター、デザイナー、貸本屋の店主など、さまざまな顔がありますが、
ぼく自身の所在は「ウチダゴウ」のほかにないのだと思います。
そして、そのウチダゴウという人間がその瞬間に持ち合わせている感性と
常に相談をして(あるいは忘れてしまったりしながら)生きることを選んできました。
そういう自分の「勝手」を自ら作ることに、淡々と勤しんできました。

幼少期から、皆と同じように、予測を立てて動くことができませんでした。
何事もやってみないとわからなかった。28歳になった今も、それは変わっていません。
ぼくがぼく自身に持っている「勝手」は、「会って話す」ということ。
自然も、人も、モノも、思いも、会って話してみないことには何もわからない。

だから、被災地に行こうと思ったのです。自分に何ができるか。今何をすべきか。
その問いについて、解答を持っている人すなわち被災された方々に会わずして、
また話さずして、身勝手な解答を作り出すことは、ぼくの「勝手」ではありません。
だから、被災地に暮らす人たちに会いに、話にいくのです。
それは、「したいこと」「できること」「すべきこと」どれでもありません。
3月11日の災害が起ころうが起こるまいが、それ以前から、
ぼくがずっと「やってきたこと」、そしてこれからも「すること」です。

そういう自分の所在を確かめられたので、被災地への支援活動を計画しました。
ブックパッカーの400人の仲間たちにはメールマガジンにてお知らせしたとおり、
ぼくと有志で、4月下旬にまず2〜3日の滞在で、被災地に入ります。
移動図書館を現地にて行なう予定ですが、今回は下見の要素が濃いものになります。
実際に会った人たちとの話のなかから、求められるものを見定めて、
必要なかたちに、柔軟にカスタマイズしてゆきたいと思います。

2011.4.7
uchidago small flag


そしてケーキを買いに走る。『洋菓子店コアンドル』を観て




昨晩は、レイトショーを観に映画館へ。江口洋介と蒼井優が主演をつとめる映画『洋菓子店コアンドル』を観ました。比較的登場人物が多いけれど、それぞれの心のストーリーも“ちょうどいい加減”で、自然に笑みがこぼれるシーン、悲しみに体が緊張するシーン、心揺さぶられるシーンなど、どれも適当な表現と度合いで、観ていてとても心地よさの感じました。江口洋介の、演じる役に必要な身体の使いかた・浮かぶ表情・言葉の温度もジャストフィット。蒼井優は出演するたびに俳優の凄みを感じます。観に行って本当によかったと思える映画でした。

ぼくの嬉しいツボは、コアンドルのシェフを演じた戸田奈津子の夫役ネイサン・バーグのプロフィールです(映画公式ウェブサイトに掲載されています)。こうした「人生に対するユーモア」を、ぼくは体現したいと思っています。

今日はこれから町の洋菓子店へ、ケーキを買いに行きます。

ペーパー・オートマタ「グッド フィッシング」が完成しました。
















いい音楽が手に入って、仕事も一段落した今週は、詩の創作とともに、静かな時間を過ごしています。そこで半年ぶりに再開したペーパー・オートマタづくり。ペーパー・オートマタ、つまり「紙のからくり人形」です。ぼくが作りつづけているのは、ドイツの作家ウォルター・ルフラーのペーパー・オートマタ。今回は「Good Fishing」と名づけられた、愉快なからくり人形。堤防に腰をかけて釣りを楽しむおじさんが引き当てるのは、巨大なサメです。サメを釣ってもあいかわらずほのぼのしちゃっているおじさん。手先の器用さに自信があれば、ぜひ。ぼくはさっそく次の作品「Silent Night」にとりかかります。



佐古馨の焦がし木皿、井上周子のリュート。tadokorogaroにて








暮らしの豊かさとはなにか。目利きの故人たちがその話題にはすでに触れているし、いまなおそうしたテーマで書かれた文章は新たに生み出されているけれど、そろそろ黙して語らなくてもいいのではないかと、近ごろ思う。結局のところ、解る人間には一目瞭然で、解らない人間には皆目検討がつかない。ときに徒労に終わるこの話を、手を替え品を替え、あるいは言葉を交えて続けるのは、もう止めてもいい頃合いかもしれない。


佐古馨氏の木皿は、意図的に生木を用いることによって乾燥の工程で生まれる歪みや変型が特徴。「燻し」や「焦がし」を加えた黒の器のなかから、今回「焦がし」の黒の大皿を選んだ。パスタ、焼き飯、魚料理、肉料理、あるいは総菜。盛って食したいものがたくさんある。いずれ「燻し」の椀物も揃えたい。氏の作品はどれも、我が家の財政的にはタブーだ。それでも手に入れるとき、ぼくが思いを及ばせるのは、これから過ごす長い(あるいは短いかもしれない)時間や空間をそのモノと共有することで、どれほどにどういった豊かさを体現できるか。氏の器を、ぼくは年老いてもきっと抱きしめるに違いない。だから買った。

ぼくが楽しんだ音楽は弦楽器であり打楽器であるピアノだったからか、弦のみで描かれる音の世界にはなかなか飲めり込めなかった。そんななか、井上周子氏のリュートはぼくのヘビーローテーションになりそうだ。2010年に発売されたCD『sources』には、ルネサンス音楽だけでなく、アイルランドやブルガリアの子守唄など世界各地の民謡が、綴じられている。澄み渡る空の青というより、深く沈んでいく灰色の澱のような、悲しみや憂いが自分のほうへじっくり染み入ってくれる心地よさを感じている。もちろん、これはぼくの味わい方。


この木皿とこのリュートを紹介してくれたギャラリー「tadokorogaro」に感謝する。ちょうどいま「食卓四景」という企画展が開催中だ。世の中には「ギャラリーってなに?」「え、食器に1万円?」というごく限られた価値観のなかだけで生きてこざるを得なかった人も多い。それは悪いことじゃない。ただ、すなわち「わたしには関係のない」ことではないはずで、だからぜひ足を運んでみてほしいと思う。買うか買わないかなんて、どうでもいい話だ。「行ってみる」「見てみる」「触ってみる」「話しかけてみる」「訊いてみる」そういう「try to」を失ったら最後、ぼくら人間の豊かさは二度と保証されない。あ、なんだかんだ言いながら、この豊かさを解ってほしいと願うぼくが、少しまだ、いるみたいだ。

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